2017年4月16日日曜日

応仁の乱

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書) 呉座 勇一 著を読んだ。歴史については疎いとしか言えず、ときどき、網野善彦「日本社会の歴史」 (岩波新書) を読み返すたびに、日本の歴史は兄弟げんかあるいは権力の分裂に尽きると感じてしまうくらいだけなので、室町期奈良が興福寺が事実上の守護だったとか、応仁の乱によって管領を中心とする有力守護の合議制という政治システムが崩れて、守護が在京する理由を失い、さらに各国でももめ事が増えたため、実力主義の戦国大名が出現するきっかけとなった。という本書最大の読みどころをとても楽しく読んだ。また、通史である「日本社会の歴史」では、応仁の乱以前の義満の専制的な政治により、天皇家の分裂抗争が一旦収束し、さらに、義満が治天となって征夷大将軍と天皇の権威が再び一体になりかけたあと、管領が主導する守護の合議制による安定した政治が軌道に乗った時期であり、その後、義教、義政が将軍の権威復活に向けて守護の権力を削ぐために家督争い(兄弟げんか)に介入した結果、権力が分裂していく過程の出来事として、応仁の乱はわずか2ページで通過していくのであるが、その背景にあるややこしい政治史の解説としても本書は大変すばらしい。
 一方、これは私の勉強不足のためですが、本書で解説された「興福寺は大和国守護職として権限を行使する権力と実力を持っていた。その長である興福寺別当は、一乗院門跡および大乗院門跡の門主が交代で務めていた。両門主は摂関家、皇族の子息が代々務めた」背景にある、ポストとカネをめぐる権力の構造については、よくわからなかった。カネについては、荘園支配の仕組みと、課税権のありかが複雑すぎてがよくわからず、いったいどこからどれくらいどのようなしくみと根拠でで税を毎年得ていたのか?なにどれくらいお金がかかっていたのあ?ポストについても、当時「天皇と貴族の権威は地に落ちた」という解説と、「興福寺は大和国守護職として権限を行使するうんうぬん」にあたり、筒井氏、越智氏などの有力者が、なぜ興福寺のいうことを聞いたのか?という話の間にあんまり整合性がないような気がする。信長の野望全国版で大和といえば、筒井順慶なんですが、そのWikiページをみても、少なくとも1550年くらいまでは、守護がいないとあるので、おそらく、摂関家や興福寺はそれなりの荘園を奈良に有しており、そこの徴税権、警察権、裁判権その他の利害を通じて有力者との折り合いがついていたということなんだとおもうが、よくわからない。ポストとカネという観点からは「院政とは何だったか」(PHP新書) 岡野 友彦 著(上皇の権力基盤をクリアに説明した膝ポンものの名著)のような制度立ち上げ期の解説は見かけるが、天皇、貴族が応仁の乱後、没落しつつも権威と経済基盤を維持しながら戦国の動乱期にどのように生き延びたかという話は、今後の日本の行く末を考えるうえで非常に参考になる話だと思うので、興味津々なのであります。